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夷地区の「道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式」が県指定有形民俗文化財に指定されました!

更新日2021年02月19日

新・県指定有形民俗文化財「道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式」とは?

 西夷・道園(どうぞの)に所在する庚申塔2基(猿田彦大神像庚申塔・青面金剛像庚申塔)と、同庚申塔を舞台に行われる"まちあげ(庚申待上講)"に関連する関係資料一式が、3月2日付けで県指定有形民俗文化財に指定されました。
 宝暦3年(1753年)3月の銘があり、猿田彦大神の図像を彫り込んだ庚申塔の中では、県内でも2番目に古く、作者が板井半蔵(板井派仏師の初代)と判明したことも貴重です。また、宝暦3年に庚申塔を立てた際からの"まちあげ"の帳簿類が、現在に至るまでほとんど欠けずに残されており、国東半島の庚申信仰を探る上で極めて貴重な資料です。

制作者が判明!猿田彦大神像庚申塔

 西夷の仙境側の丘陵、少し里道を登った場所にひっそりと立つ庚申塔。杖をつき、木の葉の衣まとった老人の姿であらわされる猿田彦大神の彫刻が施されている庚申塔です。よく文字で猿田彦大神と刻まれる庚申塔はありますが、図像が彫刻されるのはかなり珍しく、中でも宝暦3年(1753年)に建てられたこの庚申塔は、県下でも最古級のものです。
 作者は長らく謎に包まれていましたが、平成29年に1度、この塔が倒れてしまった際に、塔背面から「佛師板井半蔵」の文字が発見されました。夷谷出身の板井半蔵は、代々比叡山から法橋位を授かり、国東半島で広く活躍した板井派仏師の初代にあたる人物。
 塔の姿を再び見てみると、猿田彦大神の顔は、髪や髭、歯など、細部に至るまで、木彫のように繊細に細かく彫られており、また現在に至るまで殆ど崩れておらず、非常に丁寧で細緻なつくりをしています。この優れた造形は、半蔵だからこそ成し遂げられるものなのです。

庚申塔にお餅をかぶせるお祭り「まちあげ」

 道園地区では、2年に1度、年内最後の庚申の日に、「まちあげ」という少し変わった祭祀が行われます。「まちあげ」は漢字では「待上」と書き、国東半島では数ヶ所で行われているようです。
 道園地区のまちあげは、しめ縄づくりや餅づくりから始まります。そして、夕方ごろになると道具一式を持って猿田彦大神像庚申塔へ向かい、紅白の角餅を塔の四方に置き、庚申塔にしめ縄をかけて、その上から直径50~60cmほどの笠餅をかぶせます。そして、五穀とお神酒を供えて、祝詞を読み上げます。
 その後、同じ道園地区の西側にある猿田彦大神文字庚申塔に移動して、同様の神事を行い、最後にヒトギ(シトギ)餅を撒きます。東西の庚申塔での神事の順番は、実施毎に入れ替え、最後にヒトギ餅を撒く方を「西ヒトギ、東ヒトギ」と記録します。
 まちあげに関する記録は、何と庚申塔が建った宝暦3年から帳簿として残っています。それらの記録はまちあげの祭祀の歴史だけでなく、江戸時代の道園集落の様子を知るためにも重要な史料になります。

供え物の五穀

笠餅をかぶせています。

祝詞を読み上げます

西側の猿田彦大神文字庚申塔のもとへ移動

猿田彦大神文字庚申塔

ここでも同様に神事を行います

まちあげ時の猿田彦大神像庚申塔

新・県指定を記念して、まちあげのTシャツを作成しました!

 今回の新・県指定の記念に「まちあげ おモチはかぶるモノです。Tシャツ」を発売いたします。お餅を庚申塔にかぶせる珍しい神事の様子をコミカルに表現した、インパクト大のデザインとなっています。
 庚申塔がおモチをかぶるという稀有な文化・文化財を少しでも多くの方に知っていただき、未来の「くにさき」へ継承することの一助となれば幸いです。

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