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【コラム】「びじゅチューン!」放映記念 熊野磨崖仏徹底解説

更新日2020年03月24日

熊野磨崖仏を徹底解説します!

 豊後高田市の南端・田染平野の山中にたたずむ「熊野磨崖仏」。巨大な岩壁に浮かび上がるように彫られた「くにさき」を象徴する文化財の1つです。
 2020年3月に熊野磨崖仏がEテレの《びじゅチューン!》で映像化されることを記念して、熊野磨崖仏について詳しく学べるページを作成しました。

手付かずの自然、鬼が築いた石段

 熊野磨崖仏に向かうには、胎蔵寺前の駐車場に車を停めて、そこから遊歩道や石段を登らなくてはなりません。
 沢沿いに遊歩道を10分ほど歩いていくと、杉などの樹木が急に大きくなり、石の鳥居が見えてきます。
 熊野権現の境内は、樹齢250~400年の原生林がしげる森。手付かずの自然の中には、不揃いの石を荒々しく乱積みした石段が、上へ上へとのびています。人はこの石段を"鬼が積んだ"と言い伝えてきました。

熊野権現の原生林

鬼が築いた石段

石段の先で待ち受ける、古く巨大な磨崖仏

 息を切らしながら石段を登ると、左手に大きな仏様の影があらわれます。
 高さ7mほどの大日如来像は、11世紀後半の作と推定されており、大分県では最古の磨崖仏です。高さ8m超の不動明王像は、12世紀後半の作と推定されており、密教が栄えた平安時代ごろの磨崖仏としては、国内最大のもの。この悠久の時の経過と、壮大なスケールは、人々に六郷満山の奥深さを一瞬で感じ取らせます。
 薄くレリーフ状に彫られる半肉彫りは国東半島の磨崖仏の特徴。仏像が岩壁から浮かびあがるような姿は、仏教と自然との融合を感じさせます。熊野磨崖仏は長い歴史の中で、密教はもとより熊野信仰や修験道の聖地となっていきました。
 
 「誰が彫ったのか?」という質問をよく聞かれますが、鎌倉時代の六郷満山のリスト「安貞目録」には、【眞明如来】がつくったと記されています。記してあると言っても、仏様が彫ったという程度の記載ですので、実際は誰がいつごろ彫ったのかは分かっていません。

大日如来像は大分県最古の磨崖仏

不動明王像は平安時代頃の像としては日本最大級の磨崖仏

2つの像の造形の差を見比べる

 熊野磨崖仏のメインの2像は、どちらも巨大なものですが、制作時期に隔たりがあり、そのつくりにも若干の差があります。
 より古い大日如来像の方が、より丁寧につくられており、よく引き締まった表情は木彫仏に通じる造形美で、大粒の螺髪は1つ1つ彫られています。また彫り口は鋭く、耳の後ろまでしっかりとつくられています。
 一方の不動明王像は、大日如来像と比べるとやや稚拙なつくりです。彫り口も浅く、より平面的な表現になっていますし、柔和でユーモラスな表情をしています。しかし、現在では、そのおおらかな表現に惹かれる来訪者も多くいます。

表情も螺髪の1つ1つもかなり細密に作られています

大日如来と比べると浅彫りですが、不動明王の特徴は守られています

大日如来と不動明王 それは表裏一体の存在

 熊野磨崖仏の重要文化財の指定に関する資料を見ると、大日如来とされる像は「如来形像」とされています。通常、大日如来には螺髪はなく、宝冠など豪華な装身具を身に着けています。実は大日如来像とされる像は、元々は別の如来(薬師如来など)として作られているのです。
 この像が大日如来とされる背景には、少し時間が経ってつくられた不動明王が関係するともされています。不動明王は大日如来が転じた姿であり、密教や熊野修験で信仰された不動明王を追刻する際に、この像を不動明王と表裏一体の存在である大日如来に見立てたと考えられるのです。

並んだ2尊は表裏一体

消えかけた小さな像 童子像と神像

 熊野磨崖仏、不動明王の左右に2人の童子が彫られていることにお気づきでしょうか。よく見ると、不動明王の眷属である矜羯羅童子(右側)・制多迦童子(左側)が彫られ、不動三尊の形式で像が構成されています。
 また不動明王と大日如来の間にある、四角く区切られた龕にも小さな像が2つ見えます。この像は烏帽子を被った熊野の男神をあらわしていると推定されており、元々は3つ目の像があった痕跡も見られます。鎮守や集落名にも繋がる熊野信仰は、鎌倉時代の終わりには流入していたと考えられ、磨崖仏の歴史を考える上でも重要な像の1つです。

赤丸に矜羯羅童子/右側の枠には神像

見えにくいですが、左側に制多迦童子の顔。

謎の多い種字曼荼羅

 大日如来像の頭上をよく見ると、3つの種字曼荼羅(梵字で仏の世界を表した曼荼羅)があります。不動明王像が彫られた時期に追刻されたと考えられていますが、どの曼荼羅も他に例がない特殊なもので、何を表しているかは、現在のところ明らかになっていません。
 中央の曼荼羅は愛染明王を中心に置き、左右の曼荼羅は金剛界・胎蔵界の大日如来を中心にしています。これらが熊野三山(大峰山・金峯山・熊野山)に対応しているという説もあります。
 種字曼荼羅を近くで観察したいという方は、大分県立歴史博物館ロビーのレプリカを見てみてください。曼荼羅を間近で見ることができます。

種字曼荼羅

《お互い擬態》の動画はこちらから!

『豊後高田の磨崖仏』パンフレットを配布中です!

 「くにさき」を代表する文化財の1つに磨崖仏があります。自然の中につくられた御仏の姿はどれも美しく、力強くもあります。豊後高田市内には20箇所近くの磨崖仏がつくられており、仏像の数にして80体ほどになります。
 以前より、市内の磨崖仏について詳しく知りたいという声が多くありましたので、このたびパンフレットとしてまとめさせていただきました。

パンフレット「豊後高田の磨崖仏」が完成しました!